アルバムガイド ジャズヴァイオリニスト−寺井尚子篇

日本で現在一番有名なジャズヴァイオリニストといえる彼女。元々幼少よりクラシックの英才教育をうけていたが、Bill Evansなどを聞いてジャズに憧れジャズヴァイオリニストを目指すようになったという。
彼女のスタイルは、生ヴァイオリンのアコースティックな音色を全面に出しクラシック風のビブラートを効かせたよく歌うもの、そういう点ではジャズの黒さは皆無。フレーズ的にも基本的にわかりやすいスケール音中心で、ジャズっぽいブルースフィーリングやアウトしたりモーダルだったりといったモダンなスタイルソロは聴けずそういう点は弱い。ただリズム感は非常によく、特にアップテンポな激しい楽曲ではビート感のある演奏を展開する。特に高速で畳み掛ける演奏が得意なのでラテンタッチの曲が素晴らしい。と、このような感じで、所謂ジャズ王道とは微妙にずれるスタイルではあるが、美しい音色とよく歌う演奏、わかりやすい選曲は、ジャズという枠を超えて幅広い人にアピールしている。

彼女の登場は、それまでジャズヴァイオリンというとStephane Grappelliに代表されるスイングスタイルしかイメージのなかった日本にジャズヴァイオリンの新しいイメージをアピールすることになりました。その一方、彼女独特のクラシック風歌いまわしが日本人受けし過ぎたため、ジャズヴァイオリンについてまた別の固定的イメージを確立してしまったのはジャズという視点からすると痛し痒しのところでもあります。
個人的には選曲やジャズっぽさという点で「Thinking of You」、まとまりのよさと多彩なゲストの好演という点で「All For You」、近作では大衆性と演奏力のバランスがとれた「Adagio」あたりがお薦めです。
。(2009年11月9日全面改稿)

寺井尚子/Thinking of you(1998年)

寺井尚子の1stアルバム。当時、ジプシースイング系ではないジャズヴァイオリン奏者が日本では非常に珍しかった中、日野元彦や坂井紅介という名手をリズム隊に迎えモダンジャズを志向してデビューした彼女は異彩を放った。楽曲としてはバップの名曲「Donna Ree」、モダンブルースの「Stolen Moments」やハードバップブルースの「Strate No Chaser」など王道の選曲がされているが、所謂ジャズアルバムという印象が薄いのは、クラシック出身という丁寧で美しい音色とブルースフィーリングの薄さによるものだろう。ただそれがいい意味で、アルバム全体に落ち着きと柔らかさを与えていて作品のオリジナリティとなっている。また「Strate No Chaser」でのプッシュしまくりのアタックの効いたバイオリンは、彼女のリズム感のよさを感じさせる。アドリブのスピード感などは近作に比べるとまだまだであるなど弱点もあるが、坂井紅介作のオリジナル曲の出来もよく、ジャズという枠組み抜きによい曲のそろった名盤。日野元彦のドラムも素晴らしいがこのアルバムのツアー直後に急逝した。

寺井尚子/PURE MOMENT(1999年)

ファーストアルバムより半年で制作されたこのセカンドアルバムは、ポピュラーな楽曲のカバーを中心としている。全般に非常にわかりやすい選曲でピアソラの「Adios Nonino」に始まりチックコリアの「SPAIN」スティングの「FRAGILE」ガーシュインの「Summer Time」それに宇多田ヒカルの「FIRST LOVE」など幅広いが、全体にシックな感じでうまくまとめられている。ただSPAINのアレンジなどに実験はあるものの全体的に堅実すぎてジャズ風BGM風という印象を受ける。どの楽曲ももっと崩していっていいのでは?と思ってしまうのは贅沢なのだろうか。個人的には「Adios Nonino」のアタックの効いた鋭いタッチが印象的で、この時点で「ビートの効いたしっかりしたアタック」「ブルース色がなく、ラテン系、スパニッシュ系メロディを好む」という彼女の特徴が既に現れているといえる。ちなみにp,b,drという編成の彼女のレギュラーバンドメーバーがバックを勤めている。

寺井尚子/Princess T(2000年)

彼女の3作目のフルアルバムは、前作までとは一転Fusionギターリストの大物Lee Ritenourを迎えてのFusion感覚の濃い作品となった。今までのp,b,drとのカルテットから、ギター、シンセサイザーをメインとした編成となり、楽曲にもLee Ritenour自身の楽曲やJoe ZawinulやHaerbie HanckockらによるFusionスタンダードを多く取り上げている。そういった本来エレクトリック編成で演奏されているFusion楽曲を、クラシカルでやわらかな音色のアコースティックヴァイオリンにより演奏するという点がよくも悪くもこのアルバムの独特のオリジナリティとなっている。ただFusionとして聴こうとするとメイン楽器であるヴァイオリンにグルーブ感が弱く、BGMとして聴こうとすると楽曲に癖がある・・という印象で、そのあたりが好みをわけるか。面白い作品ではあるが。ちなみに前作までのスタイルを踏襲する彼女ならではの美しいバラードナンバーも何曲か収録されている。

寺井尚子/LIVE(2001年)

彼女の4作目は前年冬にLee Ritenourを始めとする「Princess T」録音メンバーを迎えて行われたコンサートツアーから名古屋公演を収録。曲は「PRINCESS T」を中心に過去のアルバムから7曲と今回初めて収録されたナンバー3曲。1曲目「SPAIN」は、アルバムよりストレートなアレンジになっていて、一気に駆け抜ける様は圧巻。それに続く他のアルバム収録曲たちは基本的にはアルバム録音とほぼ同じアレンジで安定した演奏を聞かせる。新録3曲のうち1曲「Lagrima」はDave Grusin/Lee Ritenourの「Two Worlds」からバイオリンの音色が美しいバラード、クライマックスのメドレーのうち「tokyo-la jam」はおそらく寺井、Leeによる即興。「Rio Funk」はLeeのアルバム「Rio」に収録のファンキーなナンバーだ。彼女ならではの美しい音色とライブならではのノリの両方が感じられる良質のライブアルバムに仕上がっている。

寺井尚子/ALL FOR YOU(2001年)

彼女のセルフプロデュースによる新作は、レギュラーバンドに曲によってSAXの石崎忍、ギターに宮野弘紀、そしてアコーディオンにRichard Gallianoというゲストを迎えている。彼女の魅力はスピーディなアドリブだと思うが、今までのスタジオ盤ではいまいちそこが出し切れていない感があったのだが。今作は全編ライブのような激しいノリが感じられる1枚となった。1曲目、アップテンポにアレンジされた名ボサノバ「甘い水」から、原曲を忘れさせる激しい演奏が繰り広げらる。「Liber Tango」もハイテンポのアレンジでリシャールガリアーノとの熱いアドリブの応酬が素晴らしい。一方で「月の光」の透明感、「シロッコ」のフラメンコタッチの激しいきめも魅力的だ。2曲目に選曲されたガレスピーの「Be-Bop」がBopを全然感じさせないアレンジとなっているように、ジャズとして聞く分にはブルースフィーリングの薄さ、横ノリの弱さがやはり気になるものの、完成度の高さでは一番の作品だろう。今までの集大成と言える出来だ。

寺井尚子/ANTHEM(2003年)

ジャズバイオリンニスト寺井尚子のレコード会社を移籍しての新作は、バンドメンバーを一新、楽曲のほとんどが本人や新しいバンドメンバーによるオリジナル曲という内容。その中でも以後バンドの中心メンバーとなるピアニストの北島直樹の楽曲が多い。その楽曲たちは 1曲目や10曲目などに見られるスパニッシュ風ナンバーや8曲目のようなコンチネンタルタンゴ風の楽曲など今まで以上にメロディアスでラテンタッチの色濃い内容になった。曲によっては、ちょっとくさすぎるかな、という感じもする。前作あたりから、ジャズ的な楽曲が少なくなってきていて、いわゆるジャズからは随分と離れてきたなという気がし、そのあたりで趣味の分かれるところだ。しかし逆に言えばジャズファンだけでなく、より幅広いリスナーに受けいれられる内容になったといえるのかもしれない。クラシカルな音色で聞かせるスピーディなアドリブプレイは前作以上に全開で、そういった点では非常に聴き応えのある快作になっている。

寺井尚子/JAZZ WALTZ(2003年)

1年足らずで発表された新作はその名の通りショスタコービッチ作曲のワルツで幕をあける。基本的な音色や雰囲気は前作を受け継ぎ、ジャズの要素は抑え目でクラシカルな聴きやすい雰囲気とスパニッシュ的な要素が強いのが特徴。一方で4曲目のラグタイム的ナンバーや3曲目のアイルランド民謡の「Danny Boy」の選曲などは新境地。そういえば本作あたりからこういった映画音楽、ポピュラーなどの良くも悪くも大衆的な選曲が顕著となっていく。でアルバムとしての出来は特段悪くないが、全体的な印象が地味でいまいちインパクトに欠ける感じ。彼女の今までのアルバムが毎回それぞれ異なる方向性、カラーをはっきり打ち出していたのに対し、そういったものがないことで分が悪い。ジャケットももうちょっと何とかならなかったのだろうか?全体に寄せ集めの急ごしらえの印象の強い作品。このあたりの作品から意図的にクラシック風の演奏を全面に出すようになったような気がし、ちょっとレコード会社からの営業的な要請を想像してしまう。

寺井尚子/DREAM DANCING(2005年)

ほぼ1年をおいての新作は、前作とほぼ同じメンバーでの録音。1曲目にGrappelliの代表曲「Minor Swing」、2曲目に歌劇カルメンの楽曲「HABANERA」を持ってくるなど全体的にヨーロッパ的な色彩の濃いアルバムとなった。続く3曲目も「パリの空の下で」、ラストは「My Way」と、前作から顕著になってきた日本人好みのポピュラー〜映画音楽的な選曲が中心となりジャズ的なナンバーは少ない。8曲目のDuke Ellingtonの「Mood Indigo」は逆に例外的な存在だ。それもあっていつも以上にクラシカルな弾き回しが際立っていて、アドリブのあるライトクラシックという印象すら感じてしまう。そのあたりが趣味の分かれるところ。ジャズを期待するとしんどいが、クラシカルなヴァイオリンサウンドを期待するなら上質な音楽といえるだろう。前々作からの流れによるスパニッシュ風ナンバー「WHEN LOVE IS SHINNING」などはこの路線の集大成と言えるできばえではあるが、やはり個人的にはもう少しジャズ的なナンバーが欲しい。「Minor Swing」もクラシカルな歌いまわしには違和感を感じた。ジャズを期待する耳で聞くと残響感が強い録音もタイトさに欠けマイナスな印象だ。

寺井尚子/夜間飛行(2006年)

東芝移籍後4作目となる今作は、前作までのスイングジャズ〜ラテン〜タンゴ〜クラシックという一連のヨーロッパ〜メロディアス路線から若干の軌道修正をし、ラテンナンバーも配しつつ一方でWeather Reportの 「Birdland」を取り上げたりするなど、Lee Retounorとの共演作「プリンセスT」の要素も垣間見られ音楽的には幅の広い内容となった。ただ楽曲はオリジナル中心という東芝移籍後の一連の方向性なので、特に北島直樹作品に顕著なのだが、いかにも日本人の作曲という歌謡曲臭さのようなものが好みを分ける。相変わらず彼女の演奏にジャズっぽさが薄い点はあるものの演奏力やバンドの一体感は素晴らしく、トータルの完成度としてはここ数作の中でも高レベルの快作だと思う。それにしてももうそろそろ作曲やアレンジではなく、ジャズの演奏そのものの世界に回帰して新たな方向性を見出して欲しいと思う。もちろんファンの方は買いなのだが。

寺井尚子/Jealousy(2007年)

前作「夜間飛行」から1年おいた新作となる今作では、ここ数年続いたg、p、b、drというレギュラーバンドからgが外れ、カルテット編成での録音となったが、音楽的にはそれほど際立った変化はなし。「Jealousy」などのラテン曲やオリジナルを中心に、「Hush A Bye」などのジャズ、フュージョンスタンダードを数曲という選曲もいつもどおり。基本はクラシカルな音色での甘いトーンでの演奏で、よくも悪くも「寺井ミュージック」という印象は変らず。オリジナル曲が減ったため歌謡曲くささは減ったが、クラシック的な節回しの印象が強いためせっかくジャズを扱っていてもサロン風という印象を受けてしまうところは残念。後半「Me,My Friend」など何曲かに初期に聴かれたストイックな質感のソロも聴けるが、そういった場面でも優美なトーンがジャズであることを妨げている印象も受ける。「Hush A Bye」などはSvend Asmussenも取り上げているが、彼の演奏と聞き比べるとどうしてもタイトさに欠ける印象はぬぐえない。もちろんそれはジャズ耳で聞いての意見であり、バック陣の好演もあり前作同様に一定以上のクオリティはあるのでファンは買いで。

寺井尚子/Adagio(2009年)

寺井尚子の現時点での最新作。前作でベーシストが交替したものの、前々作以来のピアノ、ベース、ドラムというレギュラーカルテットでの録音。相変わらず「Adagio」「ニューシネマパラダイス」など日本人好みのクラシック、映画音楽、スタンダードを中心とした選曲。個人的にはそういうベタな楽曲も嫌いではないのだが、やはりここまでそういった選曲されてしまうのは考えもの。とは言うものの今作では演奏の切れ、一体感が特に際立っていて、意外に惹きこまれた。スローナンバーなどはもちろんやわらかいタッチではあるが、全体にソリッドな印象。「Adagio」のジャズアレンジも予想以上にかっこよかったが、それ以上にひときわ耳を惹くのがChick Coreaの「Some Time Ago-La Festa-」で、ここでのバンドが一体となった演奏は素晴らしい。まるでライブ会場にいるかのような臨場感を感じさせてくれる上質の録音。原曲のよさと彼女のヴァイオリンの歌い方がうまくはまっている。正直久々に寺井尚子の演奏にぞっくっと来た。そういえばブラジルの才人エルメートパスコワールの曲を選曲しているのも個人的には嬉しい。

Kenny Barron/Things Unseen(1997年)

アメリカのジャズピアニストのカルテット+ゲストによるこのアルバムは寺井尚子が1stソロを発表する前の珍しいセッション参加作。たまたま来日した際に名古屋のジャズクラブで演奏している彼女を見かけた彼が気に入ってレコーディングに誘ったという事なのだが、寺井はJohn Scofield、Eddie Henderson、Mino Cinelouら凄腕のプレイヤーたちと並んで大きくフューチャーされている。彼女は8曲中4曲に参加しており、6曲目はBarronとのDuoでクラシカルな音色で気品溢れる美しいソロを取っている。3曲目のブルースナンバーでのソロでもクラシカルでビブラートを効かせてはいるものの落ち着いた破綻のないソロを聴かせている。2曲目と7曲目のアップテンポチューンではアウト気味のバックのコードにあわせきれなかったりするし、特に2曲目などリズム的にも乗り切れていない印象が強く多少たどたどしい場面もあるが、世界的な面子との競演という場面では健闘していると言えるだろう。結局以後こういった形でのストレートなジャズ作品でのセッション活動がほとんどなされていないのは残念でならない。

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